「やさしい」ってどういうことか?
あなたは明確な答えがありますか?
受け取る人や状況によっても変わってしまいそうな「やさしい」という言葉ですが、「やさしいがつづかない」という悩みを解決するためには、この言葉の定義を知っておく必要があります。
今回は、やさしいが続かないのはなぜか? という問いに対して、「やさしい」の定義と言葉の意味から、真に「やさしい」とはどういうことなのかを紐解いていきます。
この記事は、哲学研究者であり、東洋大学文学部哲学科教授をされている稲垣諭さんの著書「やさしいがつづかない」を参考にさせていただいています。
今回の記事は第2回の投稿になります。
前回の投稿は、以下の記事で紹介しています。 併せてごらんください。
1.そもそもやさしいって何? 【やさしいの意味】
「やさしい人」というとどのような人を思い浮かべますか?
自分も「やさしくありたい」と思っても、なかなかやさしいが続かないのはなぜでしょうか?
「やさしい」の定義がわかると、この「やさしいが続かない」ということが至極当然なことであることが見えてきます。
「やさしい」の定義ってなに?
「やさしい」について、代表的なものとしてこのように記されています。
1 姿・ようすなどが優美である。 上品で美しい。
2 他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである
3 性質がすなおでしとやかである。 緩和で、好ましい感じである。
出典:株式会社サンマーク出版「やさしいがつづかない」 稲垣諭
この定義は、国語辞典で「やさしい」と調べても出てくる一般的な定義です。
やさしいは、見た目やその人の様子にもかかわっているようですね。
また、この3つの定義からは、「やさしい」にはその人の「余裕」も関係していそうなことがわかります。
裏を返すと、「上品にも優美にも見えない」、「思いやりがなく、こまやかでもない」、「素直でない」ということはそれだけで「やさしくない」と定義されてしまうことになります。
誰しも余裕がないときにはこのような状態に陥ってしまうこともあるため、やさしいを続けるのはなかなか難しいことのようです。
「やさしい」の定義を考えると、ふと最近話題に上がる生成AIのことが浮かびます。
何を聞いても、何度しつこく聞いてもイラつくことなく丁寧に答えてくれる。
回答を間違えたり、答えがわからないときには素直に謝ってくれる。
「やさしいがつづく」とは、彼らのようなことなのかもしれません。
しかしながら、どんな相手であっても、たとえ悪意を持って利用されようとも従順に、素直にふるまってしまうことを考えると、どんな時も「やさしいをつづける」ことは危うさも秘めているように感じられます。
このことも、「やさしいがつづかない」ことに関係していそうです。
「やさしい」の言葉の意味
つぎは、「やさしい」の定義を、その言葉のもつ意味から考えてみます。
「やさしい」という言葉の語源をご存じでしょうか?
「やさしい」は漢字で書くと「優しい」ですが、この言葉、もともとは「痩さし」という言葉からきているのだといいます。
対して英語では、一般的に「やさしい」というと「kindness(カインドネス)」や、「gentleness(ジェントルネス)」が想像されますが、もうひとつ、「tenderness(テンダーネス)」という言葉があります。
「tenderness(テンダーネス)」の語源には、「弱々しく簡単に傷ついてしまいそうな緊張感」が語源にあり、壊れそうなものに慎重に触れる繊細さという点では、日本語の「痩さし」とも似ているように感じます。
身も瘦せるほど思いつめ、休みなく気を使うこと、そんな状態が「やさしい」ということであればやさしいの語源が「痩さし」というのも納得できそうです。
そう考えると、悪意に利用される危うさを持ちながら、自分自身も疲弊して痩せてしまう。
そんな「やさしい」が続かないのはやはり当然のことなのかもしれません。
2.真に「やさしい」は困難な道である【やさしいが続かない 原因】
やさしいの定義と言葉の意味を知ったところで、真に「やさしい」とはどういうことなのか?
その本質を考えます。
「やさしい」はコントロール権を手放すこと
「やさしい」という言葉、さらには「やさしい」が続くか否かには、「コントロール」という言葉が関係しているといいます。
やさしいというのは、あなたが持つコントロールの権利を手放し、それを相手に委ねる行為である。
出典:株式会社サンマーク出版「やさしいがつづかない」 稲垣諭
「コントロール」というと、人や物事を制御したり管理しようとすることを思い浮かべますが、「やさしい」とは自分が持っている「コントロール」の権利を手放して、すべてを相手に委ねてしまうことだということですね。
例に挙げると、子供が泥遊びをしようとしているとき、泥遊びで汚れたままの状態で家の中に入ってこようとしたとき、親はどうするでしょうか?
自分が後で服を洗うことを考えると、子供が泥遊びをするのを止めてしまいそうですね。
自分の寝る間を削って洗濯をしないといけない。自分の時間というコントロール権を失ってしまうことを考えて、子供の行動を制限・コントロールしてしまうのです。
そうでなければ体力的にも、精神的にも疲弊して痩せてしまいそうです。
やさしいというのはこの逆で、自分がコントロールできたはずの体力や時間といった要素を相手のために手放すこと。
そう考えると、いつでも常にやさしくあり続けるということは非常に困難なことのようです。
「やさしい」は責任を引き受けること
先に、「やさしい」とは自分のコントロール権を手放し、相手に委ねることであると説明しました。
しかし、「やさしい」には、もう一つのハードルが存在します。
それは、「相手が本当にそれを望んでいるのか?」ということです。
例として、立食パーティに参加したとします。
同僚が一人でポツンとしているとき、あなたはどうしますか?
仮にその同僚呼んで、自分たちの仲間の輪に誘い入れたとします。
本当はその友達は一人で楽しみたかったとしたら、大勢の輪に誘われるのは、その同僚としては望んでいなかった結果になってしまいます。
はたまた、仲間の輪に喜んで入ってきてくれたとしても、その同僚の話があまりに奇抜すぎて、その場の雰囲気が壊れ、別の仲間がいい思いをしないことも起こり得てしまいます。
善意で行ったことでも、その結果が悪い結果や罪悪感につながってしまうこともあるということです。
やさしいというのは、あなたが持つコントロールの権利を手放し、委ねたことの結果の責任を引き受けることである
出典:株式会社サンマーク出版「やさしいがつづかない」 稲垣諭
結果としてその場の雰囲気が悪くなってしまったとしても、同僚には「誘ったのは私だから」とフォローし、仲間には「雰囲気を悪くして申し訳ない。同僚も悪い人ではないのだけど」と、同僚の株を下げることなく謝罪することが求められます。
真にやさしいとは、自分のコントロール権を手放し相手に委ねた上で、それがどのような結果になろうとも、その責任を自分自身が引き受けることなのです。
「やさしい」は感情論ではない
ここまでくると、「やさしい」というのが、相手に対する思い、感情の問題ではないことがわかってきます。
「やさしい」には必ず「行動」が伴います。
思いや感情が行動に結びつくことは事実ですが、それは「やさしい」そのものではありません。
やさしくしたいと思ったから必ずしも「やさしい行動」がとれるわけではないと思います。
電車で席を譲ろうと思ったとき、「先にほかの人が譲ってしまった」、「恥ずかしくて行動できなかった」、「断られるかもしれない、嫌な顔をされるかもしれないと考えて行動できなかった」など、実際に行動に移せないこともあるでしょう。
「やさしい」が自分のコントロール権を手放すという実際の行動によって成り立つものであると考えたっとき、「やさしいが続く」ということのハードルがどれだけ高いものであるかが分かります。
今回やさしい行動がとれたからと言って、また同じようにやさしい行動がとれるとは限らない。
相手を思ってとった行動が、相手にとっては「やさしくない」結果を伴ってしまうこともある。
であれば、「やさしいがつづかない」や「やさしくなれない」と言って自己嫌悪に陥ってしまう必要はないのかもしれませんね。
確かに「やさしくありたい」という気持ちは存在していたのだから、まずはそのことに自信を持ってもいいのかもしれません。
3.まとめ
今回は、「やさしいがつづかない」という悩みについて、
そもそも「やさしい」とはどういうことなのか?を、その言葉の定義から紹介しました。
「やさしい」とは、自分がコントロールできる権利を手放して相手に委ねること。
そして、その結果起きるすべての結果に責任を引き受けることでした。
自分が痩せてしまうほどにコントロール権を失ってしまうこともある。相手にとってやさしくない結果に終わってしまうこともある。
だからこそ優しいが続くことは限りなく奇跡に近いことである。
でも、そのとき「やさしい」行動ができなかったからと言って悲観する必要はない。
あなたの中には確かに「やさしい」気持ちが存在していたのだから。
次回は、「人がやさしくあれるのはどんな時か?」について考えていきます。
人が「やさしい行動」を起こせるとき、そこには行動を起こしやすい環境や条件があります。
やさしくなれる条件を知ることで、もし「やさしい」が続かない状況になってしまったとしても、普段の「やさしい」を取り戻すことができるかもしれません。
次回もぜひ読んでいただければ幸いです。
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